「らしさ」とは何か?

「らしさ」という言葉がある。
これだけでは成立しないので、「らしさ」の前に言葉が付けば文としての意味を持つことになる。
しかし「らしさ」は「らしさ」でも、その時に求めるべきものなのか、または求める必要性そのものが無かったり、まずは自らに求めてから他者に求めるべきでは?ということもあると思っている。
自分が最初に求められたというより課したのは「長男らしさ」だった。
実家は3世代で祖父母には男の子がおらず、私が実家で待ち望まれていた男の子であったので、祖父母は両親よりもそしてその後産まれる弟達よりも目をかけてくれた。
その中で両親の共働きやら、祖父母の定年やらあって、両親よりは祖父母の影響が決定的に強くなった。
その中で「長男らしさ」というのが自然と求められて、自分もそれを素直に課すようになった。
ところが紆余曲折あり、それに応えられなくなると今度は「子供らしさ」というのを求められるようになった。
タダでさえそれを遠ざけていた自分がドツボにハマっていた状況下でまた新しい何かを求められるのは、よくよく考えれば苦痛以外の何物でも無かったかもしれない。
そして今でもその呪縛と「自分らしさ」という新しい呪縛に未だに囚われ続けているという感じだろうか…?

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