変化と変節

まずは見て下さって、ありがとうございます。
誰にも止める、そして戻すことは叶わない時間の変化の中で成長と老化という、逃れることが出来ない変化を受け入れることを無為に拒絶することすら出来ない。
こういったモノは過度に反応することなく、無為に受け入れることが最も最善の策であり。下手に止めにかかるよりかは、流れの中で乗り続ける為に必要なことをこなしつつ、肉体面での避けられない老化も然ることながら、精神面の老化を防ぐことが重要だと考える次第である。
肉体面の老化はペースを緩めることは出来ても防ぐことは出来ないが、精神面の老化は成長によってカバーすることが出来ると考えている。
精神の老化は肉体をも老化させる。
肉体の維持は簡単では無いが、肉体を動かす上での意志が精神の老化により弱まれば、自ずと肉体も連動するかの如く老化して行くと思うのである。
だからこそ精神の維持・管理というのは重要なのである。
例えば、外側が新品同然の機械でも中身が壊れていれば使えないように。外側が汚くとも中身がしっかりしていれば使える訳であり、外側は自分の好きなようにグレードアップなりすれば良い話なのだから…と。
とはいえ人間の場合は、機械と違いマザーボードが壊れていれば交換すれば良いという訳でもなく、全廃すれば良い訳でもない。
筐体が破損していても、同じである。
死ぬまで同じマザーボードを使い続けなければならないし。筐体が破損したとしても、同じ交換部品がしれっと用意されることもない。
だからこそ人は、必死に防衛本能を働かせて、交換不能の部品を守るのである。

と、今日のテーマに合わせて、少し巡ったことを書いてみましたが、如何だったでしょうか?
今回は「変化と変節」という題です。
変化というのは冒頭でも書いた通り、否が応でもやって来るものですが、変節というのは否が応でもやって来るものではありません。
同じ「変」という字が使われていても、あとの字が変わるだけで意味が変わる…
これは「変」という漢字のみだけで無いことは、皆さんも思い浮かべれば納得されるかと思います。
または同じ言葉でも、使われている文章で意味が変わったり。人によっては、敢えてその表現で現したりすることで、相手に色々と思わせてみたりと。身近にある複雑怪奇の一つなんてのは言い過ぎかもしれませんが、案外考えてみるとそう思ってしまう自分がいます。
では…話を戻しましょう。
変化というのは、自然とやって来るものです。
肉体の成長と老化は身近における変化の代表格でしょう。
そして意図的な変化というのは、意志によって産まれます。
そして意志は一つではありません。
それが逆に意図しない結果という不確実性を招く中で通し切れることもあれば、敢えて引いたりという判断を有限の中でしなければなりません。
このような変化に慣れておくことは、生きる上では重要なことです。
変化に慣れなければ、有限の時を生きることは難しくなるのですから。
では変節というのは、どうでしょうか?
自分にも主義主張が無い訳ではありません。
ですが変節にも、私は合理的な変節と利己的な変節があると思っています。
合理的な変節というのは、「これが必要だ」「求められている」「間違っている」といったことに明確な理由が存在していることです。
周囲の変化や事実に基づいて行動した結果としての変節を、言葉通りに罵ることは出来るでしょうか?
つまり変節でも、変節と捉えるべきでないこともあるということです。
これは、この件に限ったことでは無いでしょう。
一方、利己的な変節というのは、自己の利益の為に行われる変節で、よく変節という言葉が使われる状況の代表格と言っても差し支えないことを指します。
合理的な変節を唱えながらも、実際はこの利己的な変節は多く存在しています。
我々も生存本能に従って生きている以上、止むを得ないと言えばそこまでですが、私にとっては最大の悩ましい問題でもあります。

私は幼少の頃に許されないことを多々重ね、そして否定され続けました。
最後には自らも騙し、否定するようになりました。
その中で生きる上では変化が必要なのは理解していますが、利己的な変節だと罵られるのが恐ろしくて仕方ないのです。
私自身も変化出来たとしても、過去の罪を清算出来る訳ではありません。
他者や被害者からすれば、「偽善者のあいつに幸福の追求なんて認められない。」と思うのは、当然あって然るべきだと思います。
そしてそんな人間が他者の幸福を願うのは、傲慢以外の何物でもありません。
消えようにも消えることへの踏ん切りなどつかず、私よりも消えるべきではないと思われる方々が先に去っていく話を聞くと、何とも分からない気持ちになるのです。
そしてこうして惰性のまま生きていれば、何の利益もありようが無いのは当然のことです。
こういうことを相談しようにも誰にも答えようなどないのか。それとも精神衛生上、こんな話に巻き込まれるのは嫌なのか。または私自身も「誰にも言いようなど無いし、聞いてくれるはずもない」と諦めているからこそ、ここで書いているのかもしれません。
先日もそれで、ご迷惑をおかけしてしまった方がいらっしゃいました…
文章にすると長くなるのと、まあ…それ以外もあったと思われても仕方が無いのかもしれませんが…
目を通して頂いても、「何言ってんだ、コイツ?」やそれくらいで終わるにしても、これしか手段が浮かばなかったのです…
まあ変な誘いが来ても受けるつもりはありませんが、ともかくどうすれば良いから分からないからこそ、まるで何も無いような場所に立ったままなのかもしれません。
私はどうすれば良いのか、どうすべきか分かりません。
そしてそれによってご迷惑をおかけした皆様にどうするべきか…
謝罪で済まないのも分かっているのです…
やはり消えるしかないのでしょうか…?
分かりません…

もし次回も書けるなら、憂さ晴らし程度に書きたいと思います。
最後まで拝読して下さった皆様に感謝を。

コメント

このブログの人気の投稿

無力

泣き声