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無力

人の小ささとかそういうのを感じてしまうのに年齢とかそういう関係は無いと思っている。 実際に滅茶苦茶なことを言っているとかという人にも、ある程度一定の要素は存在し得ると思っている。 かと言って、何でも肯定される訳では一切無いが。 自分よりも先に若く未来ある人達や経験豊富な玄人の訃報などに接することがどれだけ辛いか…

基準

「基準」と聞かれて、自分は分からなくなる時があります。 「どこまでなのか…?」と。 明確にしようとしても不明確で、不明確だからこそ落としドコロも無く…

子供の言い分を何故大人は聞かないか?

「大人は子供なんざ分かってくれない」 よく聞く台詞の一つですが、何故大人はそうするのか…? 恐らく子供達に覆されたくないのです。 自分達が納得して付けてきた折り目に。 自分達が押し殺してきた感情に向き合いたくないのです。 向き合った時に今まで積み上げてきた生活やら感性を壊されたくない…と。 そう思っています。

泣き声

皆さんは泣き声を聞くと、どんな感情になりますか? 最近は「煩い」など聞くようになりましたが、自分にもそんな頃があったと思い返せば言えないはずです。 私は子供の頃を思い出してしまい、切なくなってしまいます…

理想と現実

先の『本音と建前』といい、これも面倒ですが書きます。 我々の存在は矮小です。 確かに我々は多くのことを成し得ましたが、歴史の断片から見れば小さいように思えて仕方がありません。 実際同じ行動を決断しても、その人達が同じ結果を得られる訳ではありません。 もちろん「結果の平等」を求めるのは好ましくありませんが…

本音と建前

このネタはあんまり深く書きたくありません。 面倒臭いことになりそうな気もするからですが、上げた以上は書きます。 私は基本、本音しか言えません。 言えませんが言えないような人には黙るか付き合うということはしません。 逆に堂々と建前を本音のように言える人を尊敬するほどです。 実際にこういったことは多々あります。 そしてそれを考えると、人間不信や言行不一致とかに悩まされたりします。

年齢と経験

「年上は敬いましょう」 私もこの言葉が間違いだとは思いません。 ですが年上・同い年・年下関係なく、そう思えない行動をした時はどうでしょうか? 同い年・年下はともかく、年上は上の言葉を理由にそれでも敬う必要があるでしょうか? もちろん色々と潜ってきた相手に対しての敬意は払わねばなりませんが、「年齢≠経験」ということには留意せねばなりません。 我々は先の学歴のように他にも「=」扱いにする所がありますが、そこはもう一度再考するというよりかは、十把一絡に考えず、しっかり物事一つ一つに向き合わなければいけないのではと思っています。